このブログにお越しいただきまして、本当にありがとうございます。ひさよろ です。
私はそんな目的を持ち、会社員をしながら個人で『ゲーム制作』と『コーチング』を掛け合わせた活動を行っています。
4歳(年少)の子どもの、初めての運動会がありまして、私も参加してきました。
皆さんだったら、どんな気持ちで参加しますか?
我が子の成長した姿を楽しみにしている方が多いのではないでしょうか。
私は正直、「行きたくない」という思いが強かったです。
そして、実際に運動会が終わったときの感想も「別に行かなくてもよかったかな」というもの。
それでも、「参加して大正解だった」と思っています。
なぜそう思ったのか。私が人生で大切にしたい「いい思い出づくり」について書いてみます。
運動会に行きたくない!
運動会の日程を知ったのは1か月前。平日開催なので、会社を休まなければなりません。
休暇を取ることに反対されるわけではありませんが、上司や同僚への連絡や業務調整が面倒だと感じました。
そして運動会の前日。
妻が病院に行く都合で、午前中だけ会社で仕事をして帰宅。子どもを幼稚園に迎えに行き、図書館で本を返して帰宅しました。
子どもが昼寝をしている間に仕事を進めるつもりでしたが、まったく寝てくれません。
会社のパソコンを開いて仕事を始めても、ちょこちょこと邪魔をされて思うように進まない。
10月は期初の雑多な業務が山積み。朝の貴重な活動時間も、本来やりたいゲーム制作ではなく仕事に充てていました。
「明日は運動会で会社を休まなきゃいけないのに……」
思うように仕事が進まないことに、苛立ちが募ります。
そして運動会当日。
いつもどおり朝4時に起床。5時からの朝活もゲーム制作ではなく仕事を優先しました。
8時には運動会に行く準備を始めなければなりませんが、まだ仕事が終わらない。
なんとか区切りをつけて朝食をとります。
頭の中は、「運動会に行きたくない」という気持ちでいっぱいでした。
なぜ、子どもの運動会に行きたくないのか?
改めて、運動会に参加したくなかった理由を書き出してみました。
- 仕事が終わっていないから。
- 会社を休むことで、周囲に悪く思われたくないから。
- ゲーム制作に使いたい時間を、仕事に充てなければならないから。
- 子どもの様子は毎日見ているので、運動会で見る必要はないと思っているから。
- 幼稚園の保護者とのコミュニケーションが面倒だから。
- 自分が子どもの頃、両親が運動会に来てくれた記憶がないから。
- 親が運動会に来なくても、子どもは問題なく成長すると思っているから。
こうして並べてみると、理由は大きく二つに集約されます。
「自分の時間を奪われたくない」
「他人とのコミュニケーションが面倒くさい」
結局のところ、私は自分のやりたいことを優先したいのです。
特に、40歳から始めたゲーム制作は、私にとって大切な活動です。会社員として働き、子育てもしていると、自分のために使える時間は限られています。
だからこそ、その時間が削られることに抵抗を感じてしまいます。
一方で、「親が運動会に参加しなくても子どもは成長する」という理屈は、子どものための時間から逃れるための言い訳なのでしょう。
こうして自分の感情を分析してみると、私はずいぶん「自分本位」な人間なのだと思います。
でも、そんな自分を否定する必要はないと思っています。
おそらく、来年も再来年も「運動会に行きたくない」という本音は変わらないでしょう。
それでも、私はこれからも子どものイベントには基本的に参加するつもりです。
なぜなら、「いい思い出づくり」のためです。
子どもは親が来てくれたことを覚えているのか?
私は、自分が子どもの頃、両親が運動会に来てくれたかどうかを覚えていません。
来てくれていたような、来ていなかったような。共働きで忙しくしていたからなぁ。
ただ、親が来てくれなかったことで寂しい思いをした記憶もありません。
だから、親が運動会に参加しなくても、子どもの成長には大して影響しないのではないかと考えていました。
でも、よく考えると、「覚えていないこと」と「影響を受けていないこと」は別の話です。
親が来てくれていたから寂しい思いをしなかったのかもしれません。
子どもにとって、毎日は初めての経験であふれています。
そんな経験に親が関わってくれたかどうかは、数十年後の記憶には残らなくても、人格形成や他者との関係性に影響を与える可能性は十分にあると思います。
そして、もう一つ考えたことがあります。
「自分のことを覚えていて、思い出を語ってくれる人がいる」という幸せです。
子どもが大人になったとき、私は今回の運動会について話すことができるでしょう。
「4歳のときの運動会、頑張っていたよね」
子ども自身は覚えていないかもしれません。
それでも、自分が忘れてしまった過去を、誰かが覚えていてくれる。自分がどんな子どもだったのかを話してくれる。
それは、嬉しいことではないでしょうか。
自分が誰かの人生の中に、確かに存在していた。
そう感じられることも、幸せの一つなのだと思います。
今回、私が運動会に参加したことで、子どもについて語れる思い出が一つ増えました。
それだけでも、参加した価値はあったと思っています。
思い出は、つくっている最中に幸せを感じなくてもいい
今回の運動会では、特別な感動があったわけではありません。
参加する前は面倒くさかったし、終わった後も「別に行かなくてもよかったかな」と思いました。
それでも、今こうして振り返ると、参加してよかったと思っています。
ここで気づいたことがあります。
「今感じる幸せ」と「振り返ったときに感じる幸せ」は、必ずしも同じではない。
今の私は42歳。子どもは4歳です。
20年後、私は62歳。子どもは24歳になっています。
その頃には、親元を離れて、自分の人生を歩んでいるかもしれません。
そんなとき、子どもが小さかった頃の思い出は、私にとってかけがえのないものになっているのではないでしょうか。
今回の運動会も、20年後には懐かしく、温かい気持ちで振り返るのかもしれません。
反対に、運動会に参加せず、仕事やゲーム制作を優先していたらどうでしょう。
20年後の私は、その数時間で何をしたのか、きっと覚えていないでしょう。
でも、子どもの初めての運動会に参加しなかったことを、少し後悔するかもしれません。
そう考えると、答えは明らかな気がします。
思い出は、つくっている最中に幸せを感じなくてもいい。
今は面倒だと感じることでも、未来の自分にとっては大切な思い出になるかもしれないのです。
人生は、いい思い出づくり
私は40歳からゲーム制作を始め、いつか自分の理想とするRPGを完成させたいという夢を追いかけています。
だからこそ、自分の時間を大切にしたい。
でも、夢を追いかけることだけが、充実した人生ではないはずです。
結婚して、子どもが生まれて、家族で出かけて、子どもの成長を見守る。
そんな、ありきたりで「普通」と言われる人生。
私は、誰かが決めたレールの上を歩くより、自分のやりたいことを追いかけたいという気持ちが強い人間です。
でも最近は、多くの人が歩んできた普通の人生には、幸せを感じるための大切な要素がたくさん詰まっているのではないかと思うようになりました。
もちろん、幸せの形は人それぞれです。
ただ、私が今いる場所には、今しか経験できない幸せがある。
それを、仕事が忙しいから、自分の時間が欲しいから、面倒くさいから、という理由だけで手放してしまうのは、もったいないと思うのです。
今回の運動会も、来年になればまた「行きたくないなぁ」と思うでしょう。
それでも、参加しようと思います。
そのときの気持ちだけでなく、未来の自分の気持ちも大切にしたいからです。
何かを面倒くさいと感じたときには、一度考えてみたいと思います。
「20年後の自分は、どちらを選んだことを喜ぶだろうか?」
人生は、いい思い出づくり。
20年後の私が「あの頃はよかったな」と笑って振り返れるように。
そして、20年後の子どもに「あの頃はこんなことがあったんだよ」と笑って話せるように。
これからも、少し面倒くさい「いい思い出づくり」を続けていこうと思います。
というわけで
自分の思考を整理してみて、改めて自分勝手な人間だなぁと思いましたね。ひとりで自由に生きる方が向いているのでは?と今でも思います。その方が気楽だし、自分がやりたいことをいつでもできる。でも私はとても怠惰なので、毎日同じようなことの繰り返しで、後になって振り返ることが少ない人生になるような気もします。それはそれで恐怖です。家族を持つことの良い点は、強制イベントが次から次に発生することかなと感じています。思い出は増えますからね。
というわけで最後にいつもの、
みんなだんばれ!!

頑なに張るの「がんばる」ではなく、
弾むように張るの「だんばる」で、
一緒に人生を楽しみませんか?
最後まで読んでくださったあなた、ぜひぜひXで交流しましょう!ゲーム制作をしていない方もウェルカムです。人生や働くことを楽しむために、日々くだらないことをつぶやいています。

以上です。



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