ご覧になっていただきありがとうございます。「ひさよろ」です。
“ありたい自分” で人生を楽しむ大人を増やす
という理念のもと、コーチングを使って
日本人が大志を抱けるゲームをつくる
プロフィールページでご説明した通り、私は上記のような夢を持ち、会社員ながら完全未経験の『ゲーム制作』と『コーチング』を掛け合わせた活動を行っています。
今回は、私が人生について思うことを書いていきます。
人生の目的は幸せになること?
みなさんは人生の目的についてどう思いますか?
いきなりコイツ何言ってんだ?とならず、少しだけお付き合いくださいプリーズ。
我思う…人生の目的…それは「幸せになること」である。
私は2024年で40歳のおじさんです。社会人になってそれなりに経験を積んできて、いろいろ人生について思うことがありました。で、そんな抽象的な答えに行きついたというわけです。
そのきっかけは、「ドイツ駐在」と「コロナウィルス」。この二つが重なり、海外から日本人の働き方について考えるようになったことでした。
その辺の話は、『会社員人生とコーチングを始めた経緯』という記事を読んでいただけると嬉しいです。
要約すると、、、
- 日本人は長時間労働の割にGDPが低い=労働生産性が低い
- 自分の職場の同僚も、やりがいなく働きまくり、疲れ切っているように見える
- 世界幸福度ランキングよると日本は「人生評価/主観満足度」がすごく低い
ふと、玉置浩二さんの「しあわせのランプ」という曲が頭をよぎりました。
幸せって深く考えたことがないけど、自分は幸せになりたいな。
ってか、幸せになりたくないって人、存在するのかな?
「人生の目的は幸せになること」これは誰にでも当てはまる普遍的なことなのではないか?
そして、日本人は幸せを感じにくい傾向があるらしい。
幸せは人それぞれの「いい思い出」による?
ドイツ駐在中にそんなことを思い、帰国後は「職場の人達の幸福度を上げたい」という裏テーマのもと、「働きがい向上活動」なんてことを企画・主導しました。
結果は…みなさん想像つくと思いますが、私一人がワーワー言っても周りはついてこず…。1年ほど試行錯誤しましたが、私自身のやる気が下がり、活動を中止しました。
職場の皆、何のメリットがあるのかも分からないことに時間を割こうとはしてくれません。忙しいのに…。
一人ひとり、働くことや人生に対する価値観は違います。それを一緒くたにして、働きがい向上!なんて叫んだところで全く響かなかったのです。
活動を中止した後の半年間は、上手くいかなかったことを周りのせいにしていました。人生について何にも考えず向上心もない社畜に何言ったって無駄だな、なんて感じで。(その節は大変申し訳ありませんでした)
- 文句を言わず、夜中まで働いている人(過去の自分)
- 自分の仕事を終わらせてサッサと帰る、会社に文句ばっかり言う人(今の自分)
極端な例で言うと、この2タイプの人がいますが、それぞれの人は何を思いこの会社で働いているのか?深層心理ではどんな幸せを求めているのか?
どちらのタイプにもなった自分を振り返ったときに気がつきました。
過去の働きまくりの自分は、辛かったこと、楽しかったこと、会社でのたくさん思い出があるな。その思い出は一人ではなく、仲間と言える人とつくられているな。
今のやる気ない自分は、会社でまったく思い出と呼べる時間を過ごせていないな。だから不満ばかりでてくるのではないか。
思い出って、良い悪いの解釈は人それぞれだし、後になって解釈が変わることがあります。
幸せというと、なんか重たいというか、口に出すのに抵抗がありますが、良い悪いを含め振り返った時に「いい思い出」だと感じることができる人生は、幸せなんじゃないか、そう思ったのです。
「いい思い出」がつくれる選択を自分ですればよい
「いい思い出」が幸せを感じる要素であると書きました。しかし、自分の幸せと他人の幸せは異なります。それを思い出で説明すると納得できる気がします。
例えば、私は結婚して子供がいます。これは幸せでしょうか?
人によっては、結婚ということに違和感を感じていたり、子供なんて持ちたくないという人もいるでしょう。
私はそんな自分と違う道を選ぶ人を、不幸せな人とは思いません。
なんなら私も、結婚せず子供もいなかったら、もっと好きなことができるのに!って、幸せに対してはネガティブな感情を毎日のように抱きます。
子育ては大変。面倒くさい。でも、子供はたくさんの喜びも与えてくれる。良いことも悪いことも含めて、たくさんの思い出を与えてくれます。
その瞬間だけ見ると嫌なことでも、死の間際になったら「いい思い出」だったと感じるでしょう。
これは、あくまでも私の例です。他の人がどうかは分かりません。
何が言いたいかというと、それぞれの人が、「いい思い出」になるなと思える選択を人生の中ですれば、幸せを感じられるのではなかろうか?ということです。
その人の思い出に対して、他人がとやかく言う権利はないですね。
私が40歳でゲーム制作を完全初心者から始めたのだって、夢に向かう道中なんていう、最高の思い出づくりをしたいと思ったからです。
趣味を持たずに会社にすべてを捧げる人は、その人なりの思い出の作り方なんだと思います。よっぽど嫌なら辞めているでしょう。
「いい思い出」はイベントの数による
それぞれの人が、それぞれの「いい思い出」をつくれる選択をすることが、幸せを感じるために大事だと書きました。
じゃあ、私にとっての「いい思い出」は何?他人とは違う、ありのままの自分にならなきゃ!と、焦ってしまう人がいるかもしれません。そんな人に役立つか分かりませんが、ちょっと思うことを。
思い出の良い、悪いはどちらかというとその瞬間瞬間のことで、「いい思い出」かどうかは後になってしみじみと感じるものだと思います。
そして、「いい思い出」の質を高めるためには、たくさん思い出を得なければならないと思います(量が質を凌駕する的な)。つまり、イベントをたくさん起こしたほうがいいというわけです。
どうやって?という話になりますが、イベントをたくさん起こすのに簡単な方法は、世の中で「普通」と言われることをすることだと思います。
会社に所属したり、結婚して子供を持ったり。
そうしなきゃいけないと言いたいのではなく、思い出をつくる=幸せに近づくには手っ取り早いのでは?ということ。辛いことも そりゃぁ たくさんありますけどね。
要は、「会社」、「結婚」、「子供を持つ」という、その後に【強制イベントが大量に待っている】状態は、悪くない選択肢じゃないかなということ。
完全フリーシナリオのオープンワールドゲームな人生は、楽しめる人を選ぶ気がします。
もちろん、自分独自の道を選んで開拓していく、なんて、とても素敵な思い出になりそうです。でお、それを何としてもやらなきゃと躍起になる必要はないのでは?と思うのです。今のままの延長線から大きく外れなくても、ちょっとした意識や行動の変化で、もっと「いい思い出」つくり=もっと幸せな人生を歩めるのではないかなと思います。
まとめ
”思い出”とか、”思う”とかいう文字がたくさん出てきて、ワケわかめな読みにくい文章になってしまい、すみません。
とにかく、言いたかったことは、
- 「いい思い出」は、自分で選んだ道で、たくさんイベントをこなすことから作られる
- 「いい思い出」をつくることが、幸せな人生になる
- 今の道でも十分「いい思い出」をつくれるイベントは待っているのでは?無理して自分を変えなくてよいよ
こんなところでしょうか。
このテーマについては、今後も頭に浮かんだらX(旧Twitter)なんかでも発信していきます。
あっそうそう、若い時にハマっていた音楽って、大人になって冷静に聞くと大したことない(ちょっと恥ずかしい)と思ったりしませんか?それでも、たまに聞きたくなるのは、当時の「いい思い出」が詰まっているからなんでしょうね。
というわけで最後にいつもの、
みんなだんばれ!!
頑なに張るの「がんばる」ではなく、
弾むように張るの「だんばる」で、
一緒に人生を楽しみませんか?
最後までご覧になってくださったあなた、ぜひぜひX(旧Twitter)で交流しましょう!ゲーム制作をしていない方もウェルカムです。人生や働くことを楽しむために、日々くだらないことをつぶやいています。
以上です。
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